
この、ぶたれ坊と茶所は、江戸時代の相撲力士「鏡岩浜之介」にちなむものです。 伝えによると、二代目鏡岩は父の職業を継いで力士になりましたが、土俵の外での行いが悪かったことを改心して寺院を建て、ぶたれる為に等身大の自分の木像を置いて罪滅ぼしをしました。また、茶店を設けて旅人に茶をふるまったそうです。 ここの少し北側にある東西の通りは、昔の中山道であり、加納宿として栄えてぃました。江戸時代には多くの人たちが訪れたことでしょう。現在では、歴史的な町並と地名等に当時の様子を伝えてぃますが、ここにあった妙寿寺は廃寺となり、「ぶたれ坊」の像は岐阜駅南口に近い加納伏見町の妙泉寺に移されています。 平成14年3月 岐阜市教育委員会 道標 「東海道いせ道」 「江戸木曽路」