自分史最終章: 2010年
1/04
館山での初正月。餅つきこそしなかったがおせち料理は一人前に仕上がった。飲み物、食べ物の残りもので後1週間はもちそうだ。子供たちも帰り妻と二人で虚脱感に浸っている。妻は画業、私は旅行と庭仕事。しばらく体を休めてから再開しよう。
PCが故障して、windowsを再インストールしたがあちこちで後遺症がでている。メールの受信記録がなくなったのは痛い。なんとか更新にこぎつけた。
1/14
PCと悪戦苦闘を繰り返してなんとか通常にもどった。冷却ファンの音が高まるのがそもそもの始まり。ソフトのどこに問題があったのか、未だにわからず。問題の再発がない保証はない。
今夜は珍しく大学時代の同級会。今年はすでに高校があったが欠席。中学の同級会もある。その折に八風街道をしあげたい。
今週末から桑名ー坂ノ下の東海道を歩いてくる。 桑名と四日市の間、富田一色が八風街道の終点。そこを先回りする魂胆。
1/24
東海道を桑名から近江、土山まで、3泊4日で歩いてきた。鈴鹿の関があったという関宿の町並みは秀逸。箱根峠に並ぶ難所といわれた鈴鹿峠はあっけないほどに易い道だった。峠の手前こそ急坂だが、1時間で十分越えられる。滋賀県側は茶畑が広がるなだらかな丘陵地帯。近江にはいると不思議に落ち着く。後3日あれば京都三条大橋に着く。3月には東海道を仕上げよう。
妻が1週間ほど時間がとれて館山に連れてきた。シーザーズサラダ、クラムチャウダー、パエリャなどをレパートリーに加えようと思っている。いずれもスーパーに出来合いの素が売っているが、あくまで手製でいく。冷凍のシーフードミックスは買う。
2/06
初雪だ。旅行記を中断して、物置の製作に集中している。整地を終え柱を立てたところ。ここでもセメントは使わず、ブロックと不要になったU字溝を基礎に利用。アンカーは今のところ採用せず。 これから屋根、外壁、棚、最後に塗装。1週間はかかるだろう。物置の次は屋根つきウッドデッキ。
今年に入ってすっきりしたことが3つ。
しつこかったNHKの「BS、二十歳(ハタチ)イ、ドキドキキ」が終わったこと。
民放で一番しつこいアクサダイレクトのCMから、あのあくのつよい男性がいなくなったこと。「マーチにお乗りのアライさんの場合・・」とくるまでにチャネルをかえるのだが、切り替えたチャネルでも同じCMをやっているほどしつこいCMである。
最後に、もう大相撲で朝青龍の顔をみなくて済むようになった。安心して楽しめる。一番ホッとしているのは管理無能者といわれ続けた高砂親方だろう。
2/15
オリンピックが始まった。腰パンって何だろうと思ったら、だらしない男子高校生のやるズボンのはき方だった。汚らしい髪に腰パン姿、顔も精気がなければ言葉使いも亀田なみの未熟な男がスノボに出場する。メダルをとっても祝福する気になれない。さわやかなのな中学生の高木美穂。あの初々しさは微笑ましい。
2/27
物置小屋を仕上げ、ウッドデッキにも手をつけはじめた。久しぶりに大工仕事を始めたらやめられなくなって、合間に階段下や下駄箱の収納場所の棚作りを完成、収納能力は3倍にはなったと思う。いつもイライラさせられる電気掃除機の始末も、ホースを立てかけられるようにして階段下に置く場所を決めた。
オリンピックが終わる。NHKはメダルでなく入賞(8位以内)を祝うようになった。つまらない。
3/08
長雨の間にHPがすこし整理できた。あとは東海道-8の旅行記を残すのみ。そのあとはウッドデッキにもどるか、東海道の仕上げに出るか。
ショパン生誕200年というので、ソニージュークボックスでショパンの曲をかけっぱなしにしている。もっているCDを全部HDにいれて、計750分のショパン特集。
4/04
3月26日から30日にかけて、土山ー京都三条まで歩いて3年半がかりの東海道踏破を果たした。 28日の日曜日は土山で斎王群行の祭りがあり、ひさびさに旅を忘れて被写体を追った。望遠を持っていかなかったので迫力は今ひとつ。 最高気温が8度という寒さで、晴れたかと思うとミゾレが降る冬空模様。 桜もつぼみが多かった。 義仲寺を再訪した。44年ぶりである。
右ひざを痛めた。歩くたびに馬力の衰えを感じる。来週で64歳。
4/23
4年がかりで東海道が仕上がった。今年に入って異常な天候が続いているがGWまでにはおちついて欲しい。中学の同級会で滋賀に帰る。八風峠を歩きたいから天気が気になる。それから帰って1週間後には妻の絵画研修合宿に付き合う。「駒ヶ根だけど宿場町?」と聞かれて、調べてみるとそれが伊那街道(三州街道)の上穂という宿場なのだ。「乗せていってくれる?」で商談成立。塩尻から下ってみようと思っている。三国街道も妻の塩沢合宿がきっかけだった。そうでもなければなかなか同伴は難しい。忙しい5月になりそうだ。
4/30
さわやかな五月晴れになった。こどもの日までは大丈夫なようだ。八風街道を踏破したい。3月に痛めた膝がまだ治っていない。今回の旅行には手遅れだが明日病院にいく。
デッキができあがった。5個の部分からなり、それぞれ色が違う。何度も塗りなおすうちにいつかは統一されるだろう。次は手すりと屋根。そして待望の格子。最後はバッタリ。仕上げはベンガラ塗装。日曜大工の集大成だ。
5/19
八風街道でひどい目にあった。八風峠は7合目くらいで道を失い、尾根をさまようことしばらく。三重県側に降りればなんとかなるだろうと八風峠を断念、道なき山中で沢下りを敢行。疲労困憊でようやく登山道らしき跡にたどりついたと思ったら、それは滋賀県側から登ってきた道だった。どこでどうしてUターンしたことになったのか、未だにわからない。もう一度やり直す体力も気力も時間もなく、バスで八日市に逆戻り。草津線で柘植経由四日市のホテルに着いた時は10時を過ぎていた。 二日かけて田光(たびか)から富田一色まで、一応街道の後半は踏破してきた。峠越えは宿題として残った。一人では不安だ。
都合で妻は研修旅行をキャンセルし館山で休養。その間にウッドデッキを仕上げた。なかなか感じよく仕上がった。デッキで秋刀魚を焼いて祝杯。 思い出に残るGWだった。
5/29
八風街道-2の旅行記を書き出したところで、思いがけないニュースが飛び込んできた。NHK7時のニュースで、東近江相谷町の熊原遺跡で日本最古級の土偶が発見されたという。頭部がなく豊かな乳房をした、縄文のヴィーナスだそうだ。相谷といえば、今回の八風街道出発点である。熊原遺跡は旦度橋をわたって南に200mほど行ったところにある。去年圃場整備工事で発掘された。そんなことなどつゆ知らず、私は橋をわたって左に折れ勇んで相谷集落の旧道へ入っていったものだ。
八風峠に加えて宿題が一つ増えた。
6/02
峠越えは宿題として八風街道を一応完結する。明日一日庭の整理をして明後日飲み会で上京。隣の県でありながら館山からは都に上がる感覚だ。帰路に潮来と鹿島によって来ようと思っている。それで芭蕉鹿島紀行が仕上がるのだ。その後はいよいよ青森県まで遠出。 2回で済むか、4回行くことになるか。とにかく本州最北の地まで行ってしまいたい。
鳩山総理が辞めた。最後まで夢見る少女だった。世界中から馬鹿にされてはもたない。
6/18
本格的な梅雨に入った。サッカー、相撲、参院選、口蹄疫、メキシコ湾原油が毎日のニュースの8割以上を占める単調さだ。そんな中で「はやぶさ」だけは彗星のようにさわやかなニュースだった。カプセルの中は空っぽかもしれない。帰ってきただけで大偉業である。静かに見守ってやろう。
今年はトマト、キューリ、ナスを二苗ずつ、スイカ、メロン、カボチャを一苗ずつ植えた。順調に育っている。子供の頃にたべた黄色いマクワがほしいのだが、種さえも売っていなかった。トウモロコシは一株に一個だけ収穫するように書いてある。そんな非効率なことはやってられない。桃の木が枯れた。今年くらいそろそろ柿が取れてもよさそうだが。世事にはますます無関心になってきた。
7/12
サッカーと参院選が終わった。相撲、口蹄疫もほどなく終わる。メキシコ湾原油だけが深刻だ。ピラミッドや長城など、崩れても無害なものはよい。油田、原発、密集地の摩天楼はみな人間が創り出したバベルの塔である。いつかは老朽化、風化して崩壊することを免れない。財政赤字という目に見えないものもある。自分が生きている間、場所だけは大丈夫だろうとロシアンルーレットを続けている。子孫が残せればよいという他の動物とちがって、人類は豊かになりたいという禁断の味を知ってしまった。UFOに乗った生物はこの味を知っているかどうか。
7/18
海の日を前に梅雨が明けた。うまくできている。7月にはいってから毎日のように菜園コーナーの世話になっている。トマトは二苗で丁度いい加減。毎食もぎたてのミニトマトを2、3個。キュウリは一苗でよかったかも。毎食追われるように食べている。漬物にすればよいのだろうけど。シシトウはビールのつまみ。オクラは納豆用。ピーマンはそのまま生で。ネギは買い物を植え戻したもの。去年からまだ生きている。ナスは炒めたり煮たり、味噌汁やパスタに入れたり。ルッコラだけは種植え。虫にくわれてボロボロになった残りを食べている。スイカ、カボチャの実が一個ずつ、メロンは二個育っている。人工授粉もやってみた。それぞれ3個ほどは欲しい。買えば1万円だ。
8/10
7月から8月にかけて妻、娘、孫が夏休みにやって来た。休めなかったのは妻と私。これで今年の夏は終わった。メロンを二個収穫。けっこううまかった。スーパーで同じものを150円でみつけてガッカリ。スイカが3個、カボチャは一個だけ。カボチャはもうやらない。野鳥の餌から生えてきたトウモロコシと思っていたのは間違いだった。粟だ。 去年とっておいた種から育ったアサガオがあちこちに咲いている。 色は単調だが 賑やかしにはなっている。 7月は旅行に出ずじまい。準備が大分整った。 盆過ぎくらいから旅に出よう。命あふれる夏だが私には一番寂しい季節だ。特に地蔵盆あたり・・・。 子供の頃からそうだった。 日本の叙情歌を聴いているとなおさら。
8/19
妻のために残しておいた最後のスイカが昨夜何者かに食べられていた。隣りの奥さんから「スイカを狸に食べられました」と聞いて、昨夜センサーライトをつけたばかりである。馬鹿にされた。結局スイカは2個でおわり。そのかわりメロンが3個結実している。計5個となって優等生だ。タヌキはメロンも好きかな。
8/29
一向に暑さがおさまりそうにない。 PCで旅の準備を続けている。奥州街道は三厩まで完了、奥の細道は出羽三山まで整った。結婚40周年特別旅行として田原街道を行こうと思っている。街道を一人で下見して妻はいい所をつまみ食い。お目当ては伊良湖と神島だ。遠き島から「椰子の実」が流れ着いた恋路ヶ浜。「潮騒」の舞台で恋人の聖地となった神島。伊良湖岬は鷹の渡りでも有名。そのピークが10月上、中旬。撮影旅行も兼ねる。
口が軽く優柔不断、八方美人の狼少年として国の内外から首相不適格の烙印を押された鳩山さんが、何を勘違いしているのか前総理面して招かれてもいない外国に出張している。来られる方は迷惑な話だろう。「友愛」だの「大義・恩義」だの、はては「私を総理にしていただいた方」だの。一国の政治を自分史化している。まだ夢から覚めていない。
9/01
一日は顔を洗った後「yomiuri online」を読むことから始まる。4時くらいだ。「政治」「社会」「国際」「天気」とみて「マネー・経済」「スポーツ」の順に見る。今朝の政治トップ記事がよかった。
鳩山さんがぼやいた。「ボクはいったい、何だったんでしょうね」
ある中堅議員は切り捨てた。 「宇宙語しか話せない伝書バトはダメだ」
養老孟司ならこうつけ加えるだろう。 「宇宙人にもバカの壁がある」
失格者として見放された者がどこに居るべきか彼は判っていない。
9/20
毎日週間天気予報とにらめっこしている。関東以西はまだ暑すぎる。青森は天候不順で1週間の雨なしを保証してくれそうにない。10月の田原街道を先に予約してしまった。ここは雨天決行。
巨人のことは忘れて今はイチローと白鵬の記録を追っている。二人ともたいしたものだ。
今日は敬老の日。まだ敬われる身分ではない。65歳以上を高齢者と呼ぶそうな。75歳からを後期高齢者と定義づけたから、65歳からは前期高齢者か。来年からそうなる。イヤダ、イヤダ、敬われたくない。
9/26
イチローの連続10年200本安打と白鵬60連勝記録をみとどけて、来週、いよいよ青森県に旅立つ。9日間の長旅だ。下北半島の恐山、仏ヶ浦、津軽半島の小泊、金木といった太宰治縁の地も訪ねるという野心的な旅である。二戸まで新幹線、そこからレンタカーを9日間乗り回す。最近京都でも熊に襲われたというから、青森の山地は超警戒。無理して歩かない方針。
中国の後進性(民度の低さ、品格のなさ、世論・情報の偏屈性)には辟易する。体質的に北朝鮮と大差ない。扱いにくい国民だ。
10/26
青森と渥美半島の旅を終えてきた。下北の仏ヶ浦、津軽の太宰紀行は成せず。田原街道は伊良湖と神島の観光に終わってしまい、街道歩きは後日一人で。
館山に帰ってきて早速栗拾い。瓜のように大きくなった秋茄子、小さなキュウリほどのシシトウが鈴なり。コスモスとヒャクニチソウ、メキシカンブッシュセージなどで庭は華やかだ。しばらくは庭の手入れと旅の整理で休養。11月にはもう一度でかけよう。
11/06
来週、仙台へ行く。鳴子峡の紅葉みがてら中山越え出羽街道、奥の細道を旅してくる。
これほど弱い日本なのにどうして円が買われるのか不可解だ。欧米の経済に比べて日本はましだからという。株価をみよ。政治をみよ。外交をみよ。一国の首長をみよ。金利の低さをみよ。国債残高をみよ。国民の無気力さをみよ。どこがましか。
11/15
錦秋の鳴子街道を歩いてきた。吉岡から舟形まで中山越え出羽街道を踏破、そのうち岩出山から笹森までは奥の細道を兼ねる。山形県は初入国。最上地方である。四方を山に囲まれた美しい盆地だ。宮城県は今回で一段落。これからは羽州街道と奥の細道で、しばらく山形県を旅することになる。それから秋田県。共に近江商人が足跡を残した地方である。東北は味わい深い。
12/03
世間ではボーナスシーズンか。今年も終わりにちかづいた。例年になく喪中通知が多い。80、90歳代の親に混じって同世代の例もあった。同級生の配偶者だ。そんな年代に入ってきた。他人事とは思えない。
ヤクザな歌舞伎役者がいたものだ。元人気女子アナは早く離婚したほうがよい。
北朝鮮の後継者という男、まだ20代後半の若者なのに顔が張れて二重あごのメタボ中年だ。園児の髪型のせいで頭皮にまで脂肪が蓄積しているのがよくわかる。そんな男にマンセーと叫んで敬意を強いられる飢餓国民。滅入るほど空しい。
12/15
ようやく出羽街道中山越と奥の細道の旅行記を仕上げるだけになった。年を越すまでにできそうだ。今年は東海道と奥州街道という大物を仕上げた充実感があった。来年は奥の細道に専念する。最上川を下り出羽三山に登った後は、ひたすら日本海に沿って近江に向う旅になる。それで、私の日本紀行もほぼ半ばを越える。それからは山陽、山陰、四国、九州と旅は続く。それまで元気でいられるやら。
格安レンタカーが人気を集めているという。12時間で2500円前後。大手レンタカーの半額だ。一日5千円は宿泊料に匹敵して、長期に利用するには勇気がいった。2500円はレンタカーとレンタサイクルの中間で、気軽に利用できそうだ。普及することを切望する。
12/19
鳩山が「辞める」と言っていたのを撤回した。「友愛がこわれそうだから辞めないで頑張る」と言いつつ「でも政治家の言葉が軽くてはならない」と、自分で言っている。あきれて開いた口がふさがらない。今の政治混迷を作った張本人であることをわすれるほどバカではあるまい。なら、厚顔無恥としかいいようがない。植木等よりも軽い男だ。
12/22
一年でいつが一番楽しみかといえば、正月でも誕生日でもなく、私は冬至である。一年のバイオリズムは夏至から鬱の気分がはじまりプロ野球のリーグ戦が終わると本格的にうつ状態に陥る。日が短くなるのは実につらい。冬至はそれを終わらせるのだ。「ワーストイズオーバー」という開放感は、例えば囚人が刑期をおえて出所する気分だろうか。もうすこし例えをよくするなら、街道歩きの峠に達したときの気分ともいえる。登山の頂上をきわめたときの達成感ではない。峠はもっと先の目的地に至る途中の障害物でしかない。最悪期を脱した安堵感というか、開放感を冬至の日にしみじみと感じるのである。庭もそれを感じているようだ。1月の剪定と施肥を催促しているように聞こえる。