自分史最終章: 2007年
1/03
テレビ実況までに東海道の箱根駅伝コースを見ておこうと思ったのだが、小田原までしかいけなかった。それでもテレビに、覚えのある風景がうつると、一層臨場感があふれてきて、そこを走る若者がいとおしく見えた。今年は順位が頻繁にいれかわり、見ごたえあった。大手町でのゴールシーンはいつも感動的だ。テレビに応援を送る父親を複雑な目でみる娘のCMもよかった。順天堂、おめでとう。
1/12
今年はどこから歩き始めようかとまよった挙句、足は筑波街道に向っていった。水戸街道、真鍋の土浦一高前からはじまり、筑波神社まで、20kmあまりで、街道歩き一巻が出来上がるのが魅力だった。途中の集落といえば、藤沢と小田、そして門前まちの北条くらい。一里塚だの、本陣跡だのの心配をしなくてよい。臼井から最後の2kmあまりは急な坂で、汗ビショ。神社についたのは日暮れ前の4時。ケーブルは4:20分まで運転しているが、山頂は次回にまわした。四六のガマを飼っている土産店でガマの油を買った。切り傷、やけど、肌荒れに効くとは聞いていたが、水虫にも効くと知って笑ってしまった。医者に処方してもらっている軟膏より、保険のきかないガマの油の方が安い。
筑波山は愛の山。隣人愛でなくて、どちらかというと、性愛の方。筑波の民俗学でも勉強しよう。
1/23
ある冬晴れの日、真っ白な逆さ富士を撮ろうと、箱根へ出かけた。湯本三枚橋から、坂又坂の旧街道を半登山。きつかったが石畳の旧道歩きは楽しかった。同年配くらいの夫婦連れと抜きつ抜かれつ。追いつきそうになるとカメラをもてあそんで時間調整も。畑宿で昼食。そんなこんなで、芦ノ湖についたのが3時過ぎ。空には薄雲が広がって、逆さ富士どころか、順富士さえ見ずじまい。富士をみない箱根なんて・・・。峠で夕暮れて、静岡県へは次回に。そのときは朝、箱根まで直行だから、天気予報どおりの空が待っていてくれるだろう。
1/30
30年の経験から、「アナリストやエコノミストの意見は聞き流す」というルールを守ってきたが、NHKの「インドの衝撃」は説得力があった。昨年末に一部利食ったインド株投信を買い戻すことにした。昭和30年代の日本というより、明治の日本みたい。BRICsといってもロシアとブラジルはなぜか好きになれない。結局、国土や天然資源でなくて、投資対象は国民、つまり人間なのだ。宇宙哲学を創造し、ゼロを発見し、二桁の掛け算を諳んじるインド人には科学的にかなわない。日本人が誇る豊かな「情緒」はその対極にある。
2/07
柳沢さんがボカスカたたかれている。「人口減少を食い止めるには、平均1世帯につき2人再生産する必要がある」という数学的事実を知らしめ、あの手この手で再生産世代に期待を寄せる気持ちを伝えようとしている。女性は子供を産む女王蜂で、男は奴隷のような働き蜂、といわれても男はゼンゼン気にしない。子供のない夫婦の多くは本音ではせめて一人はと思っているだろう。少子化対策といったマクロの意味でなく、話し相手が欲しいとか、自分の老後をみてもらいたいとか、家系を継いで欲しいとか、いたってエゴイスティックな動機からではあっても・・・。 子供が2人いるほうが、精神的にも経済的にも、国家的にも「健全」だ、といって何が悪い。 かといって、アフリカや東南アジア、ラテンアメリカのように、5人も6人も生むのも人口論的にきわめて問題である。自然減少を考慮に入れて、2人より若干多めの2~3人が「理想的」という客観的観察に異論はないはずだ。
2/19
年末からちまちまと始めていた引越しの準備にめどがついた。家電販売店はどこも「新生活キャンペーン」中だ。そこで1.5人用のサイズを探している。独身用と新婚世帯用の中間的なサイズがなかなかない。
少しでも節約するために表示登記と保存登記を自分ですることにした。図面用に0.2mmの極細インクペンを買ってきた。他の書類はたいしたものでなく、一日あればできそう。
DELLのノートパソコン(ビスタ搭載)を買い、YahooBBも申し込んだ。薄型テレビは2011年まで買わない。折りたたみ自転車がカインズで9千円で売っていたので買うつもり。旅先での初乗りは4月になるだろう。
60歳での田舎新生活がもうすぐはじまる。
3/01
房総半島の南端、館山に引っ越した。菜の花は2月の月はじめから満開、隠れ家は低い山間で、ウグイスが鳴いていた。近所に、魚をほうりなげてトンビに餌付けする人がいて、いつも空には2,3羽のトンビが輪を描いている。隣りの男性は毎朝、海岸で貝殻とワカメを拾ってくる。家のまわりは貝殻だらけ。漁業権がないから、ワカメは採ってはいけない。拾うだけ。
三日間、ダンボールの開包と整地作業に明け暮れ、今里帰り中。引越しの後始末も一仕事。娘が孫をつれてアメリカから一時帰国する。ウェブカメラで顔はなじんでいるとはいえ、実際の対面が楽しみだ。
3/10
家周りの整地作業と本棚造りに没頭している。登記の初回点検はまずます。屋根の「コロニアル」は商品名だから、「スレート」にすべきと。住所は○○番○○でなくて、○○番地○○だと。プリンターをまだ買っていないので草加まで帰って修正。この際、コピヤー・スキャナー付プリンターを買おう。図面はなかばイジメスタイル。「線が太そうですね」「いいぇ、0.2mmでなくて0.1mmのペンで書いたからこれ以上細くかけないはず」。「紙が薄いんじゃないですか」「いいえ、霞ヶ関の法令用紙販売所でかってきたものだから、家屋調査士、司法書士、行政書士、税理士だどが使っているものです」、ときっぱり。現物をみせると黙ってしまった。図面は結局担当者の気に入るように描くことになる。「他例をまねて描いたのだけど、法務支局によって違うんですな。もっとも例自体がまちまちだけど・・・」。気にいるかたちにその場で修正して、描き直し。二回で済みそう。8万円の節約と思えば我慢できる。
3/16
ホリエモンが負けた。執行猶予と思っていたが意外に厳しい判決だ。一言で言えば「高慢さを咎められた」ということだろう。裁判官の心証はかなり悪かったようだ。起業家ごっこのあだ花が散った。
異常なほどにあたたかかった2月にくらべ、3月の寒さはどうだ。株価とそっくりではないか。
無事表示登記が完了した。登記官が前日自宅にやってきて、家の中までみてまわった。
4/02
保存登記もおわり孫と娘もアメリカへもどって一段落がついた。 思いついたところに芝や花や植木を植えつけている。柿、樅の木、桜、モクレン、藤、アーモンド、ライラックを植えた。強風にもまけずに定着したものを記念樹とするつもり。栗、ミカン、ブドウも植える予定。梨、桃、リンゴも欲しいナ。花は今のところ、松葉牡丹、芝桜、ゼラニウム、アリッサム、バラなど。記録を兼ねて庭造りブログでも作ろうかな。街道歩きが気になりだした。今月中に再開したい。
4/09
毎朝4時起きで、久しぶりにマスターズゴルフ中継を楽しんだ。めがね石橋と満開のツツジはいつ見ても美しい。 残念ながらタイガーウッズは出遅れてあと一歩で追いつけなかったが絵になる男だ。ゴルフに夢中だったころのお気に入りプレヤーは、ジャックニコラウス、トムワトソン、セベバレステロス、グレッグノーマンなど。往年の名場面、優勝インタビューも感動的だ。今年の優勝者はアイオワ州の無名の若者。来年は父親となったタイガーを楽しみにしよう。
4/17
館山での一人暮らしを楽しんでいる。各所に住所変更をだして郵便物が徐々にこちらにきだした。東京タワーからの電波が届きにくいところで、VHFはNHKをふくむ3つのチャネルがうつりにくいというので、BSだけにした。 6時から試合終了まで野球がみられるのがよい。機能門柱をかってきて、自分で設置することにした。電気配線だけは頼む。鉄工ドリルで穴あけ。木工のようにはいかない。ドライコンクリートを買ってきて、雨がおさまったら左官仕事をやる予定。GWまでにはポストと表札ができあがる。
5月に甥の結婚式で神戸にいく。西宮から姫路あたりまで、山陽道に手をつけようかと考えている。
6月は音楽部OB会で滋賀県に帰る。近江路を二つほど歩いてくる予定。
そんなわけで、東北は後回しになっている。
4/28
山陽道の準備をしようと思いながらついつい庭に出てグラウンドデザインに時間をつぶしている。スコップで土をあっちにやったり、こっちにやったり。石をあっちに寄せたりこっちに集めたり。廃材でウッドデッキまがいの階段兼縁台兼収納箱を作った。門柱のコンクリートがかたまり、表札とポストをとりつけた。一応これできりをつけ、これから1週間は街道調べに専念しようと思う。
動物の鳴き声は国によって表現がちがう。アメリカでは犬はワンワンでなくバウワウと鳴く。誰となく「こんな風にきこえるね」と言い出し、ほかが「それがいい。それがいい」と賛同して国家的コンセンサスが出来上がっていったものだろう。そんなことを考えたのは、日本だがここのカラスは「カーカー」と聞こえないのだ。Kの子音がめだたなくて、「あ~あ~」となまめかしく鳴く。ゴミ袋をあさったりしなくてもエサが十分にあるのだろう。心身ともに満たされた声に聞こえる。メスのカラスかもしれない。
5/04
さわやかな五月晴れだ。息子が神戸のチーズケーキを土産に帰省してきた。裏庭の斜面をどうするか、彼のデザインをとりいれて、一段目をタイル張りのテラスにすることに。スペイン風パティオにテーブルをおく。隣接して耐火煉瓦の焼却炉兼バーベキュー用竈を建設するのは私のアイデア。テラスの下に水路。行き止まりは水溜りのビオトープ。設計だけはできた。
7日から6日間で西宮から兵庫県を横断する。三宮、姫路、相生にそれぞれ二泊。相生では車を借りて龍野、室津、赤穂に寄り道する予定。山陽道は古代の大路。大陸文化の伝播路。平家の末路。瀬戸内の陸路。五月の明るい海道が目に浮かぶ。イメージ旅行はできあがった。平凡社太陽コレクションの地図をベースに歩く。西宮から姫路まで、宿場間が20kmという長丁場。それぞれのJR駅で自転車を借りよう。毎夕、20kmを乗って返しにいくのが億劫だが・・・。電車には乗せてくれないかな。
5/14
5ヶ月ぶりの街道歩きで1日目はなんとなくぎこちなかったが2日目から徐々に調子があがって、予定通り兵庫県を横断してきた。土地ごとにテーマがあって面白い。西宮は灘の酒。兵庫は平清盛。須磨は源平と光源氏。明石はたこ。姫路は世界遺産。龍野は薄口醤油。赤穂は忠臣蔵と塩。そして室津は遊女のふるさと。姫路と室津でお夏清十郎。相生は何もないところだが新幹線が止まる。東横インが完成まじかだった。
レンタサイクルを二日。全体重をサドルに乗せ、繊細な尻の皮膚をこすりつける。特殊な防具が必要だ。20kmに2時間以上かかった。一定地域を周遊するには自転車が最適と思えるが長距離移動にはどうかな。電車にのせられる折り畳みに落ち着くのか。
5/26
カインズに芝生が入荷したというので一挙に60束かってきた。前庭全面と東北斜面と西側を三日がかりで張る。基本的には芝生庭である。西洋風の庭にイングリッシュガーデンの趣を加味する。
テレビに向かって一人言をいうようになったのは2、3年前からだろうか。主にスポーツ番組だが、時には女房がいないときに、女子アナに向かって「かわいいね」などと言ったりする。今日、白鵬が千代大海を破った時は「ヨッシャ。ヤッタ!」といって鳥肌が立ってしまった。次の希望の星は豊真将。昭和時代の優等生のような力士だ。
6/4
一週間来妻と二人で庭造りに明け暮れ、大分はかどった。山陽道の旅行記はまだ手付かずだが、写真の整理が半ばまで終わった。滋賀に帰るまでに山陽道・兵庫県の部をなんとか仕上げたい。
庭に果樹を追加した。これで柿、梨、桃、栗、梅、枇杷、無花果、杏、葡萄、ミカン、アーモンド、ラズベリーがそろった。3年すれば、防風、目隠しを兼ねた果樹畑になってくれる計画だが・・・。
夏休みに孫が帰ってくる。砂遊びが好きだから、砂場を造ってほしいと。宿題が増えた。
6/11
入社してまもないころ、ちょうど手書きの預金元帳を大型コンピュータに切り替える時だった。デジタル化の黎明期である。残高が1円でもあわなければ帰れなかった業界で、元帳を入力しないで放置することなど考えられないことだ。保険の不払いも含めて、年金・保険はいわば単式簿記の世界なのであろう。
写真の整理が終わった。16日に彦根に帰る。OB会は翌日の県合唱祭に参加するが私は遠慮することにしている。
折りたたみ自転車を持っていくことにした。朝鮮人街道と御代参街道を歩いてくる。 雨がつづくようならすぐ帰ってくるつもりだ。
6/21
彦根-鳥居本-高宮-豊郷-五個荘-八日市-岡本-日野-鎌掛-土山-守山-野洲-近江八幡-安土-能登川-彦根、と湖東を三角形にまわってきた。街道でいえば朝鮮人街道-中山道-御代参街道-東海道-朝鮮人街道をついできたことになる。近江鉄道沿いの中山道・御代参街道、JR沿線の朝鮮人街道は高校同級生街道でもある。何人かの実家の前を通っていたはずだ。音楽部OB会も含め、ちよっとしたノスタルジック・ジャーニーだった。5日間のレンタサイクル。びしょぬれ、パンクありの珍道中。守山の朝市で鮒寿司をかってきた。限りなく薄っぺらい小型鮒。1300円。7月は旅に出ない。後始末が山積みだから。
7/01
半月ぶりで館山に帰ってきた。まいておいた西洋芝が産毛に育っている。 近江の写真集を終えた。あと4編の旅行記がのこっているが、一日一宿のつもりでチマチマとやっていこう。旅行の後、草加で写真の整理はほぼ終えていた。ここでは庭のことが気になって、生産性が1/10ほどに落ちる。妻はキャンバスをたずさえてやってきたが、ついつい草むしりに精を出すことになってせっかく造ったアトリエでまだ初仕事をしていない。日を決めて、外へは一切出ないことにした。
7/11
新しいパソコンをケチって最小のメモリーで買ったが、遅くてイライラしていた。こんど1GBx2にアップグレードして、快適だ。DELLに注文すれば2万円以上するものをインターネットで12300円で買えた。純正部品など買うものでない。
現役時代週末しか見なかった大相撲を毎日4時半から楽しんでいる。辛気臭い仕切り直しも、昔ほど苦痛でなくなった。勝負以外に気になることがある。力士が塩を取る場所のテレビカメラに毎日必ずといっていいほど、粋な和服姿の女姓が映るのだ。大抵中年で、髪を上げている。テレビに映っていることを知りながら、意識していないように見えるのがニクイ。私の好みのタイプではないが、つい意識してみてしまう。
7/18
雨のおかげで旅行記に専念でき、ようやく山陽道その1が仕上がった。まだ室津と近江の始末が残っている。
息子が研修で草加に帰ってきた。妻に聞いたらしい。「とうさん、館山でなにしてるの?」「そりゃ、庭仕事とか・・・」
「ふう~ん~」 わかったような、わからないような。
8/14
5月と6月の旅の後始末がやっと終わった。こんな調子では70才までの全国踏破はおぼつかない。
7月と8月に友人を二人なくした。ひとりは会社の同期、ひとりは中学の同級生。共に病気。
街道全国踏破は健康を前提としている。その前提が崩れたときのシナリオもないではない。
旅に出られなくなったら、庭いじり。庭にもでられなくなったら読書。 読む力もなくなったらレコード鑑賞。
これも体が段階的に弱まることを前提としている。そんなにうまくいくわけがない。
病は突然やってきて、命は他律的に絶える。
9/02
退職後最初の夏が終わった。10数年ぶりで海に入り、庭でスイカをハーモニカし、炭火でトウモロコシを焼き、もぎたてのトマトをかじり、花火で遊ぶ。気分的には子供時代の夏休みに近い一ヶ月だった。これをしたかった。50年ぶりだ。打ち上げは妻と二人だけのバーベキュパーティー。といっても、コンロで秋刀魚の塩焼き。生臭い煙を思い切り上げてみようというイヴェント。ソルティードッグでめずらしく妻も酔った。
一時帰国の娘はシカゴに帰った。息子は昨日から夏休みで、彼女と北海道旅行。妻は9月から駒込の美術研究所へ毎日通学。私は庭の整地をすませたのち、岩城相馬街道を仕上げる予定。
9/09
衛星放送で「永遠の笑顔 坂本九」の特別番組があった。子供から年寄りまで、全国民に愛されたエンタテイナー。前向きで平和で善意に満ちた時代のスター。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」・・・歌声喫茶、カラオケの定番。
古きよき時代/My Teenage: 昭和30年代。
9/23
19日から4日間、福島県浜通りの北半分と宮城の東南部を名取まで、岩城相馬街道を仕上げてきた。折りたたみ自転車を車に乗せての徒歩・自転車・自動車の3刀流スタイル。結局これが一番効率的とわかった。ただし、東京からのドライブも仙台辺りが限界のように思え、とても盛岡まで運転しようという気にはなれない。遠方をどうするか、いまだに試行錯誤が続いている。
今回の旅のハイライトは二日連続の日の出詣。4時に起き、日の出をねらって目的地に急行。日の出の時刻と駐車場とはかならずしもベストコンビネーションとならないのが悩み。それでも早朝の風景は素敵だった。場所は相馬の松川浦と、岩沼の貞山堀。
9/30
冷たい雨でようやく秋が定着しそう。退職してちょうど1年。ゆとりどころか、忙しすぎた。本の一冊、映画の一本も見ていない。引越しや造園作業で、街道歩きが思うようにすすまなかった。10月、11月は旅の書入れ時。精力的に行こうと思っている。
10/02
「いい子になるから迎えに来て」
なんというすなおで、やさしい、けなげな、いたいたしい言葉であろう。 これを聞いたとき胸を痛めつつ二つのことを思った。
ひとつは振り込め詐欺。偽の息子の窮地に多額の金を払う親。 一方、助けを求める真の息子の危機をこの親は見抜けなかった。
ひとつは安倍元首相。体の限界を口にできなかったのは斉藤少年と同じだが、自分でやめられたことは幸いだった。やめるタイミングが悪いという批判はたやすいが、そこまでもがまんしたという見方ができるのは昭恵夫人の他すくないのではないか。
親方、兄弟子、相撲協会の罪はいうまでもないが、一番罪の意識が深いのはこの少年の父親のはずだ。「自分が息子を殺した」と悔いているにちがいない。
国技、神技といえども相撲界は古い。徒弟制度と個人商店経営。それにチョンマゲ、フンドシ、メタボ体型。
天皇以下、全国民が髪を切った文明開花の時に、力士だけが取り残された。
巨人の優勝がみえてきた。今日6時からBS放送で。
P.S. 9時24分
なんという幕切れだ。いやいや、勝てればよい。長い冬だった。李、清水もこれで報われただろう。
巨人、おめでとう!!!
10/06
館山の隣人が亡くなった。ほぼ同時に引っ越してきてわずか3ヶ月の永久の住処だった。冬でも青いからと、西洋芝の種をまいて10cmほどに育ったのを見届けてから実家へ帰られた。6月下旬に背中に痛みを訴え先月なくなられたという。末期癌だった。まだ69歳。迷惑をかけているのではと、息子夫妻が草刈に来られた。奥さんは息子夫婦と一緒に住むのか、ひとりでこちらに永住するのか。他人事とは思えない。
10/09
巨人が優勝したから言うわけではないが、今年から導入されたクライマックスシリーズとは、いったい何者だ。リーグ優勝とはなんなのだ。既に決まっているじゃないか。一旦頭をまるめた落合監督が「あれ、ウソ」とばかりに胴上げされる不条理があっていいのか。
まさかMLBのワイルドカードを勘違いしているのではあるまいな。各リーグが3地区からなりリーグ優勝を決めるトーナメントには1チームをシードするより、もう1チームいれて偶数にしたほうがよい。そこに地区2位チームの敗者復活を認めた。昔、リーグ1地区だった時代および2地区だったときはワイルドカードなどなかった。仮に将来、リーグ4地区制になれば、やはりワイルドカードは不要のものとなる。
クライマックスシリーズとは半年かけて優勝者を決めておきながら、「でも、やっぱり」と2位や3位チームがしゃしゃりでる未練がましい制度である。
あるいは、日本一決定戦と、レギュラーシーズン覇者決定戦とのリンクを止めたということだな。つまり、日本シリーズは、リーグ上位3チームによる、おまけ的お祭りということで、興行的利益を優先させて日本一という権威をまるっきり落としてしまったということだ。また、これを「プレーオフ」と称してはばからない。プレーオフとは、あくまで同点、同順位者間の唯一勝者決定システムである。どこに、1位と2位で、勝負をやり直すスポーツがあるか。不可解、不愉快極まりない制度である。
10/14
旅に出る天候条件は「曇り時々晴れ」以上。「曇り」以下は出かけない。10日から草加に待機していたが11日も12日も「曇り」の予報で家にいたら、午前から日がさしていた。13日、甲斐の国は「曇り時々晴れ」の予報。甲州街道、上野原~鳥沢間は晴れ時々曇りの上出来だった。「風林火山」効果で週末は人出が多い。9割5分以上が高齢者グループだ。街道歩きどころか登山者もいる。上り坂で左ひざを痛めて3時できりあげ、今日は完全休養。宿場間が短い上に、山道が多く、車も自転車もなじまない甲州街道は、徒歩が原則。天気と膝具合を睨みながら、武田信玄のふる里をたずねて行きたい。
10/19
不愉快といいながら毎晩クライマックスシリーズを見ている。中日が勝った。いやな予感がする。
昨日甲州街道を鳥沢から中初狩まで歩いてきた。いよいよつぎは最大の難所「笹子峠」を越える。日曜日に決行の予定。
膝の痛みは関節でなくて、筋肉痛。つまり、コラーゲン不足でなくて、歩き方が悪かった。
10/26
週間予報を信用して、日曜日から木曜日まで、甲府の東横インを拠点に、4泊5日で甲州街道の残りを仕上げてきた。すばらしい秋晴れだったが紅葉を楽しむにはまだ1ヶ月ほど早かったようだ。甲州街道の終着下諏訪は41年前、中山道の歩き旅で、下諏訪大社の裏で野宿したところだ。ただのような銭湯に入った記憶がある。左足小指に豆ができて、毎晩水出ししての苦行だったが、歩き旅ならではの達成感があった。歩きはそもそも自虐的行為である。その報酬として満足感がある。
甲州街道は中央本線との相旅である。電車の写真を多く撮った。線路沿いを歩いているときはあらかじめシャッター速度を800分の1秒にセットしておく。遠くにガタゴトが聞こえてきたら、旅を中止して、線路に向かってカメラを構えて待つ。そんな旅だった。今日からしばらく天気がぐずつく。お宅に徹して、写真と紀行記録の整理をしよう。茶番劇の日本シリーズなど見たくもない。
11/06
甲州街道の写真の整理が終わったところで、日曜日、箱根からの富士山を見に行ってきた。東海道箱根峠をあがりっぱなしで、まだ下りていないのが気になっていた。今回は天気予報通り、芦ノ湖の向こうにくっきり浮かんだ富士を見ることが出来た。甲府と箱根は富士をはさんで一直線上にあり、富士の両側を見たことになる。 なんといっても日本の象徴である富士山はけだかくて美しい。4時間かけての箱根西坂下り。今度は両膝をいためてしまった。やれやれ、一年がかりの箱根峠越えである。
11/17
明日から東北を旅してくる。1年ぶりの二人旅だ。自転車をつんで車でいく。仙台ー塩釜ー石巻ー金華山ー登米ー一関ー平泉という大旅行だ。景色の悪いところは私一人で自転車でまわるつもり。これで、奥の細道、塩釜街道、石巻街道、金華山街道、一関街道を歩けるというセコイ考え。妻を途中で帰し、仙台ー平泉間の奥州街道もついでに行ってみたいが、気力がもつかどうか。豆や膝のことを考えないですむから、やはり車はよい。宮城県をこえて岩手県にはいる。
適当に雨が降ってくれているから、館山の庭は自然に任せて、ここ1ヶ月草加に引きこもっている。どちらが本拠なのか、わからなくなってきた。
11/26
7泊8日の東北旅行から帰ってきた。天気は晴れ・曇り・雨・雪・吹雪、宿はビジネスホテル・民宿・老舗旅館、景色は海・山・浜・島・古社・古刹、街道は奥の細道・塩釜街道・石巻街道・金華山街道・一関街道と、盛りだくさんだった。おまけは毛越寺で高校の同級生とであったこと。中尊寺で再会。共に二人連れ。はじめは声をかけていいものか、躊躇もあった。日本は狭い。
4街道の新規と奥の細道の更新作業で12月は旅に出られそうもない。来年は奥州街道を津軽北端までいってしまう。
12/01
今年の謝罪会見ブームの取りをとるように二人の若者がカメラの前に立った。朝青龍がモンゴルを発つ映像を見て亀田は同じ豪華な毛皮コートを羽織ってきた。語彙の貧しさを割り引いても、二人の会見は空虚であった。謝罪の開口一番、「・・・んで、これからも応援よろしくお願いします」と結んだのには、あきれを越して笑ってしまった。謝る悪人が応援を請求している。10年前帰国した当初からスポーツ選手のこの決まり文句が気になっていた。 「・・・んで、・・・んで」が耳障りなのは、栗山プロ野球解説者が最初だったが、これが若者の標準丁寧語なのかと、あきらめている。「これからも応援よろしくお願いします」は、ヒーローインタビューの結句として定着しているようだ。そもそも選手自ら応援を要求することなど、あつかましい。唯一の効用は、これをいえばしつこいインタビューから解放されるということか。
今年も終わりかけてルンデ、とりあえず、やっぱり、年賀状をと、考えてルンデ、来年も、とりあえず、やっぱり、ちょっと、がんばろうと思ってルンデ、ちょっと、やっぱり、これからも応援よろしくお願いします!!!!
12/05
「今年も終わりかけてるじゃないですか、、やっぱり、年賀状をと考えるじゃないですか、やっぱり、来年もがんばろうと思うじゃないですか、やっぱり、これからも応援お願いしたいじゃないですか・・・・」
「そうですか・・・・」
12/08
「今年的には、もう終わる~、みたいな。年賀状的には出そうかなあ、やめようかなあ~、みたいな。来年的にはちょっとがんばろう~みたいな。これから的にはやっぱり、応援お願い~みたいな・・・・」
「そうなんだ・・・・」
12/18
先週金曜日、12月の定例飲み会は忘年会。8月から一人減っている。いつかは「そして誰もいなくなった」になる。 それまでの浮世つきあいだ。 誰からともなく読書の話題になって、藤沢周平の『ただ一撃』が面白いと二人が推薦した。50ページほどの短編で「暗殺の年輪」(文春文庫)に収録されている。
表舞台は一浪人の試技試合。 裏舞台は60前後の舅と23歳の嫁の話。
「儀式のようにして行なわれたそのことの最中に、三緒の躰は不意に取乱して歓びに奔ったのである。
――三緒はそれを恥じて死んだ――。」
12/26
クリスマスと正月を館山で過ごす。草加に植えておいた花の咲かないツツジと実をつけないキンカンを引き抜いてもってきた。樹木でまだ欲しいのはまっすぐに伸びるイチョウとポプラ。芝生や雑草は冬眠にはいったようで、冬は庭仕事も楽だ。正月休みの仕事は「奥の細道」の更新と、写真集の整理。「鉄道」「道」「家」をそれぞれ独立テーマにできないか。年明けの街道は暖かい東海道、静岡県を歩いていきたい。本来は、熊がでそうな山越え旧道峠道を優先させるべきなのだが、気が重い。新緑、桃の花の季節は集中的に東北へいくつもり。東北には桃源郷がいっぱいありそう。
さて、年賀状がまだだった・・・・。