自分史2013年

自分史最終章: 2013年

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正月の暇に任せて今まで旅した足跡を時系列に整理してみた。大学時代の中山道歩きは別にして、2000年の夏休みに琵琶湖一周したことが日本紀行の始まりであった。会津の旅を終えて、思いつきの旅は目的的でないことに気づき、昔の街道を線でたどることに決めた。2003年夏休みから始めた奥の細道・日光街道・奥州街道を兼ねる千住から小山までが最初の街道歩きであった。それからほぼ10年、街道の数にして約60。奥州街道のような長大なものから数キロの短い道まで、いろいろだが、それぞれに特徴があって飽きない。 これらをFBのタイムラインに記録しつつある。写真集にもなり、地図上に足跡を見られるなど、FBにはそれなりの利用方法がありそうだ。それが仕上がれば初歩きをしてこようと思う。目指すは下田街道。

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歩き初めに下田街道をと、三島に4泊予約をとったのだが、直前の降雪でキャンセルを余儀なくされた。予定を変更して、近くの房総往還を歩くことにした。船橋から江戸湾東岸を館山まで。南総里見藩の参勤交代路であり、湾に沿った漁村をつなぐ流通路でもあった。 終の棲家に選んだ館山への道である。自宅からピストン運動を繰り返す。 今年の冬は寒い。 風がおだやかで、暖かければ出かけるという暇つぶしの旅となろう。

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3月上旬、河津桜祭りに合わせて下田街道を歩いてきた。踊子歩道、二本杉歩道などとうたってあるが、天城越えはひどい山道だった。終点下田は唐人お吉一色といってもよい。そんな彼女を下田の町民は蔑み、嘲笑い、忌避し、身投げした遺体を弔うこともしなかった。一校生と幼い踊子の別れ場となった下田の港が街道終点である。鰐淵春子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵らが、この船着き場にしゃがみ込んで去っていくはしけを見送った。

8/28

初めての北海道旅行。猛暑こそ抜け出したが歩けば汗がにじむ暑さ。豪雨をかいくぐる旅となった。函館から松前、江差までは松前街道。函館から室蘭、札幌、小樽までは札幌本道という明治の馬車街道。富良野、知床、宗谷岬、釧路など、風景を楽しむ旅は街道歩きが完成してから。3年ぶりの夫婦旅行、特急とレンタカーの楽な旅だった。JR北海道の電車の横揺れが激しいこと、本州ではありえない。電車が悪いのか線路が悪いのか、事故が絶えないJR北海道が分かる気がした。カニやウニは美味かったが安くはなかった。

9/08

2020年のオリンピックが東京に決まった。発表の瞬間涙が出た。今から7年後7月24日から8月9日までという。熱中症警報の中での大会にならなければよいが。

それまで元気でいたいと思う。街道歩きも完成しているだろう。74歳、平均寿命にそれほど遠くはない。

昨日、101歳の義母が他界した。1912年、元号が大正に変わる2か月前に生まれた文字通り最後の明治の女。それに京女の強さを併せ持った気丈夫な女性であった。いくらかは妻も彼女のDNAを引き継いでいる。

12/31

年の終わり、子供は二人ともニューヨーク。妻と二人だけの静かで穏やか正月を迎える。来年からは自分史最終章の場をfacebookに譲ろう。年を経るごとに世事に関心がなくなるなかで、中国と韓国だけがますます嫌いになっていく。国挙げての被害者意識は見苦しい。